発掘作業



動画を画面上部に表示すると邪魔になるので、こちらに移しました。



「意識意識」の天敵である「私」
(ボートの上には誰もいないことが見えている景色こそ、本当のいまの景色)


意識が意識を意識することを意識意識と呼んでいました。


意識は無形(むぎょう)ですから、一人の人が手探りでこの感覚を探そうとすると、どの感覚が「それ」なのかがわからなくて右往左往します。


「私=個人」としての想念を無意識に掴んでしまいますので、
その「想念を掴まない」感覚を探し、「手放している状態こそデフォルトの意識感覚」であることを思い出します。


「私は在る」の言葉だけで自力で見つけられる人なら、それが早いです。
でも自力の場合、「これがほんとにその感覚なのかな?」という疑念が入ってあたふたしちゃうんですよね。


わかっている人と向かい合って4時間くらいマンツーマンでこの感覚を伝達する機会を得るなら、それが一番早いかもとはわたしも思います。4時間のほとんどは、感覚を確認する「反復」のための時間です。マンツーマンでです。


でもですね、そのマンツーマンの相手にもよりますから、これはベストな方法ではないと思います。ただ早いだけです。人生の周到な計画は単に早ければいいわけでもありません。


高度なエネルギーになればなるほど「なめらか」なんです。
喉越しがなめらかなように、エネルギーも、背後で流れるエネルギーがなめらかかどうか人はみんな自然にわかっているんです。


わたしにとっては「バーソロミュー」から感じるエネルギーは特になめらかでした。


有名になった神との対話とか、スピリチュアリズムの代表シルバーバーチと比較しても、なめらかさは際立っているように感じました。


ニサルガダッタ・マハラジの言葉が、かなり高度な叡智の視点から書かれていることは、この日記で取り上げて読んでいるうちにはっきりと感じるようになりました。


皇は、いま目の前で学ぶ課題を各人に提供します。
この流れは信頼に足るものですから、自分がもっともなめらかだと感じるエネルギーを先生にすればいいんだと思います。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody