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整列 チューニング


風景の受信というのはチューニングのようなものです。


ある部屋に入って、部屋のどの部分に注目するかは選択です。
カメラマンに指示を出すのと同じです。
「カメラさん、もうすこし右側に寄ってください」
この選択がチューニングです。


焦点がチューニングです。


愛の目盛りがあって、目盛りの端には


神の無条件の愛


と書かれています。無条件ということは、無条件にチューニングするのは「こちらの責任」ということです。


もしそこに条件を持ち出した場合、無条件の愛に目盛りを合わせることに失敗します。


無条件の愛には包まれています。無条件ですから。
でも、受けとっていることを感じとれなくなります。
それはチューニングしている側の責任であるのに、神の責任だと思い込んでしまうことで、チューニングの目盛りに手をかけていることすら忘れてしまいます。


世界を、理不尽で不条理な要求をするモンスターのようなものだと感じているなら、


理不尽で不条理な要求をするモンスターのようなもの


とチューニングしているのは本人なんです。


モンスターは本人にとっては真実です。


ですが、真実それ自体の、チューニングの権利と責任があります。


いまこの瞬間、世界がどんなものに見えるかがそのままチューニングしている愛の姿です。


この姿は文字通り「私の責任」です。


ありのまま見るためには、「私」がいればできません。
できないんです。


「私」がない状態で見ない限り、あるがままは見えません。


愛は、私なく寄り添っている(現在進行形)です。






これ


を読み直していました。
パパジもマヤさんも、なんてすごいんだろうと読むたびに感じます。
ニコルさんへの指針は、わたしたちみんなへの贈り物ではないでしょうか。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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