S(真我)を生きる 足跡8日目



こんばんは。今夜は感情について思うところを書いてみます。
思考は外からやって来て、頭の中を通過し、去って行くエネルギーに私には感じられるのですが、感情は自分のエネルギーの一部だと感じています。主に肉体で感じるので、肉体の内側の感覚(LEVEL1)にあまり慣れていない方は感情の動きにも注意を払うのに慣れていないのではないかと思います。イチローは5分おきに寝返りを打ったりするそうですが、アスリートは体の重心や緊張にどれだけ鋭敏な感覚をもっているか計り知れません。


こちらが以前の「感情観察」のまとめです。感情の解放もLEVEL4の接触訓練と同じように重要です。「思考観察」は頻度の問題でLEVEL4定着には一番適しているのですが、この発生・通過する思考を「LEVEL4から観察」するのは感情の場合も基本的に同じであり、感情が発生した瞬間にそれをやるべきだと私は思います。過去に封印した感情を全部掘り返そうという大プロジェクトではなく、「今発生している感情は今観察するのが自然が要求するベスト」だと感じているのです。LEVEL4定着後でいいじゃないかという意見もあるでしょうが、人によっては封印している感情がメッセージを送ってきていて緊急性が高い方もいると思います。できれば余裕のある方は「発生した瞬間に素直に従う」方がバランスがとれます。


感情観察
胸の中心奥や喉などになんらかの感情の動きがあるか自然観察します。胸の中心奥に熱エネルギーを感じた時は、それは他の感情と違います。注意していてください。
感情を避けようまたは保留しようとしません。理性で防御パターンに入りません。自然観察です。外部の原因と思われるものを非難するパターンもストップします。つまり怒鳴ることも嫌味を言うことも舌打ちもしません。感情を変えようともしません。ただ静寂に留まり押し黙ったまま、胸の奥に出現した感情をそのまま観察します。これは我慢とは違います。一体この感情はわたしに何を言っているのかをありのまま観察します。言っていることがわからない場合も気にしないで静寂に留まります。あなたがネガティブな感情と呼ぶ感情を閉じ込めないでください。静寂の中でありのままにし、迎え入れます。この感情の言うことに耳を傾けず、理性の防御パターンに入ると各チャクラ(エネルギーの扉)を通るはずのエネルギーが詰まりはじめます。これが人生の問題に発展していきます。

怒りや恐れや自己憐憫など俗にネガティブな感情と呼ばれる感情も、ポジティブな感情も全て自分の一部であり、「自分の内側に属するもの」であるというところが注意すべきポイントだと思います。つまり他人が引き起こす感情というのは「存在せず」、外からもたらされるのはやって来る想念であり、想念に内側でどう反応したか、リアクションしたかの結果表示が自分の感情なのではないかと思うのです。外側に立っている人物のあなたの感情に対する責任はゼロで、内側で生じた感情は全て自分の子供である点を理解しないと、外側を非難するしか選択肢がないと思い込んでしまいます。これはいくつになっても変わらず、「いつも怒鳴っていらっしゃるご年配の殿方」や「嫌味を挨拶代わりにお届けになる義理のお母様」を職場でも家庭でも目撃されているであろう皆さんもご同意いただけると思います。


たとえば職場で、誰か朝の挨拶をしない髪がサラサラな感じの新人がスタバのカフェモカを持ちながら遅刻してやって来るとします。…頭にきますよね?
この時、「腹が立って」いるらしいんです。抽象的な意味ではなくて本当に「胃が直立している」そうなんです。江戸時代の日本人はその胃の直立感覚に自分で気づいていたんですね。
これは「あってはならない!」という自分の指向が裏に見えてきます。
「あってはならない物語」のスタートです。この物語が感情を生みます。
外側の風景は「自由にさせるにも限度がある!」と思うわけです。
昨日の例で言えば「この匂いはカレーに決まってる」と思っていたら「カレーの詰まったコロッケ」だったとします。「こんなカレーはあってはならない!」と無意識に期待してた分だけ怒ります。
挨拶をしないことが?
遅刻の言い訳が?
髪のサラサラ感が?
カフェモカのホイップクリーム?

外側の彼にどう反応するかは脇に置いて。問題はその「怒り」の感情が「彼からもたらされたものであるとの無意識の断定」に入ってしまい、怒りの感情自体が「自分の子供である可能性」をまったく検証しないところにあります。


「ありえない」ことなど一つもないんです。「なんでもあり」えます。「ありえないという指向を自分が矢印として向けている」ことが、「感情の発生原因」であることに気づくことができます。


感情は「我が子」です。「家なき子」のように扱うから行き場を失ってチャクラを詰まらせます。


怒鳴っても感情は消えないままです。外側に投げ返せるエネルギーではなく、あなたの肉体の一部だからです。体をちぎって相手に投げることが無理なように、感情をちぎって相手に投げることはできません。相手を非難する瞬間あなたは(我が子に)「出ていけ!」と言ってしまっている親なのです。我が子は行き場を失い、自然に循環することができなくなり、肉体の一部分に留まります。その感情は不安なまま、暗闇で過ごすことになります。


自我を信じるということは他人の実在を固く信じることとイコールです。そこで、自我があなたの耳元で囁く選択肢は似通っていて、「他人より優れていることが安心」につながるという発言です。


70億人全員の自我がそう囁くので、心理競争がやって来ます。それは規模が小さくとも「戦争」に他なりません。自我の囁きは真っ赤な嘘なのに、嘘から「戦争」が始まります。


他人より優れていることはそれこそ「ありえない」のです。真実あなたは「透明な光」であり、真実だけは変えられません。真実とは違う方向性の舞台や演技はできます。自分一人しかいない時に、どうやって優れたり劣ったりできますか?それは分離の錯覚に基づいた個別性の世界の嘘なのです。


他人は確かに歴史があり、人生を生きている「ように見えます」。
ではなぜ「出会った」んでしょうか?偶然ですか?


偶然ではないんです。あなたの本体が「呼び寄せた」んです。あなたがとても嫌がるあの人を呼び寄せたんです。なんでそんなことをするのか?あなたがバランスをとっていない竜巻(チャクラ)を正常にするためです。大きなお世話だと思うでしょう?ところが違うんです。このバランスをとってもらわないと人生にわざわざ降り立った意味がないんです。またやり直しになってしまうのです。

思考との同化と感情との同化は錯覚です。わざとではなく、4歳からのパターンで自動的に巻き込まれているんです。あなたは何も悪くありません。パターンに乗っ取られているだけです。今この思考とこの感情を感じているのは「誰?」と聞いてみてください。本当は同化なんかしてません。距離があります。あなたが怒りそのものなら、怒りに気づくわけがありません。あなたが喜怒哀楽の感情そのものなら、「誰が」その感情に気づいているのですか?この時点でわたしとは感情そのものではないことがわかります。これは重要な認識です。あなたは怒りそのものではないんです。別のものということになります。


感情にはそれぞれ感覚や音質のようなものがあり、よく冷えたジョッキのようにゴトンとしていてキンキン言ってても胸の奥でそれを味わうことができます。あなたの子供なんです。どうしてそういう感覚なのか、なぜ発生したのか責める前に、「ここに居ていい」と認めてください。


居てはいけない理由なんかどこにもありません。怒りは何も悪くありません。怖れもです。みじめさも含めてあらゆるネガティブと呼ばれる感情の何もかもそのままで大丈夫です。問題は瞬間的にあなたがそれを「不要物だ!邪魔者だ!出ていけ!」と条件反射することなのです。その感情に1秒すら時間を与えず、外部の風景に犯人探しを求めてしまう条件反射パターンに巻き込まれているんです。


誰かの言動に基づいて「怒りが発生している」なら、それはメッセージに他なりません。そのメッセージを聞こうとしないから同じメッセージが何度も何度もあなたが耳を傾けるまで届けられます。


これは洒落にならないくらいしつこいものです。もしあなたが我慢強いとか、しつこさでは負けないと思っているなら、メッセージのしつこさはそれを遥かに上回るものであることをご覚悟ください。

偶然の出会いではなく、あなたが呼び寄せたんです。あなたがあの嫌な人にそっくりだから、ではなくて、あなたがあの人のあの嫌な部分を認めず、「批判している」からです。それは自分自身への批判(指向性)なんです。これがわかるまでメッセージはしつこく繰り返されます。ここを注意してください。逆に言えばあなたが聞いた瞬間に、メッセージは本当に止まります。もうやって来なくなります。魔法のように止まります。


目の前で起きていることだけが原因ではありません。過去に溜め込んできた感情の全てが外部の引き金によって溢れてくるのです。引き金が原因のような気がしますが、「傷」は引き金の前に内側に既にあったんです。それをあなたに知らせるためLEVEL3がわざわざ打ったお芝居なんです。


職場での人間関係、親戚との人間関係は全て「偶然」ではありません。
今あなたがわざと呼び寄せたものであることを認め、真正面から向かい合うならば、メッセージは役目を果たしようやく止まります。


不当がなされたから怒る。自分を不当がなされる対象だと信じているからです。
自分の運の悪さに呆れる。偶然が存在すると信じているからです。


たとえばセドナ・メソッドでは感情への対処を大まかに
1、表現
2、抑圧
3、手放す


に分類しています。
常に3番を選択します。
上記で説明してきたようにまず発生した感情の存在をありのままに認めてから、
手放したいか?と自分に質問します。
答えがどうであろうと「いつ手放すか?」と質問します。
自分の中で「今」という意思が芽生えると手放しが起きます。


この時、リラックスと共に感情が手放されるのを感じる時
「財布をなくす→とても焦る→財布が見つかる→とても安心する」
このとても安心するような感覚が発生すると言われます。


感情がそんなふうに手放しできる対象であることに普通気づいていません。
私は感情のメッセージを吟味した後なら勝手に手放されていくものだと思います。


この手放す感覚は思考観察時の観察視点から眺めている感覚と同じです。
リラックスとは力を抜いて「あるものをあるようにさせる」ことで、そこに何かをぎゅっと握り締めようとする無意識の指向性が「解かれる」感覚です。
思考と感情の両方にこれをやれるようになれば、LEVEL4に沿うことができるのではないかと思います。断続しているのは思考や感情の方であって、LEVEL4は常にある継続です。


リラックス感がどんな時も継続していることに気づいていないのですから、矢印で矢印を何とかしようといつも思ってしまうわけです。これを手放す訓練なんです。

リラックスです^^あなたは本当はゆるキャラだったんです。
個人的に重要だと思うことを書き連ねましたが、わかりやすく書けたか自信がありません。わかりにくかったらおっしゃってください。今日もありがとうございました。

03 2024/04 05
S M T W T F S
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
HN:
Fiora & nobody