こんばんは。↑13死神(逆位置)         ↑16塔(正位置)


violaさんにご指摘いただいたとおりだったようです。
フィオラは今日タロットの「塔」を正位置で示し、「人生の後半」と言い出しました。
私は巨大な塔を駆け回り這いずり回り、登るのではなく、降りていくそうです。
この塔を脱出するために。
タロットの塔の正位置というのはネガティブな解釈の中でも「最悪」の意味だそうです。さすがフィオラ。私を脅すことにかけては常に全力を尽くすようです。イタリア人は悲劇が好きだと言われますが、フィオラはそういう好みがありそうです。
もう何でもいいんです。発覚にとどまります^^
それに「凶」と言われるより「大凶」と言われる方が楽しくなってきませんか^^


今夜は最重要のテーマにします。私たちの本質、悟りの本質「透明な光」です。
以前一応説明を書きましたが、透明な光には名前がつけられません。
私がつける便宜上の呼び名です。ご了承ください。


私たちが苦しんだり、二元を超克することに悩んだりするのは自分が「透明な光」であることを忘れているからです。人生は光を思い出すための旅です。いつ思い出せるのかというと今です。


不思議なことに今しか思い出せる瞬間はないのです。
1秒前や1秒後の世界というのは存在しません。この日記を読んでくださっている今のあなたが今のあなたのままで何も付け加えず、取り除かず、透明な光であることを思い出すしか「ない」んです。もともとそうするしか「ない」んです。


悟りとは「今」認めなければならない(達成されない)ものであり、未来に後回しにしようという態度が少しでも残っていると「思い出す」ことができません。今の私は不完全だから、もう少し修正したら…、それは誤解です。



私たちが何かを伝達するために便宜的に悟りには訓練期間に3年かかると発言したとすると、その言葉は間違いです。大きな誤解を生みます。悟りとは「今」のあなたです。
お釈迦様が悟りには7回生まれ変わっても、7年後でも、7ヶ月後でも、7週間後でも、7日後でも、7時間後でも、7分後でも、7秒後でも、「今」でもいい。そうおっしゃった言葉が正確な事実です。


無意識の指向性により、私たちは分離の観念に操られ、本当の「光」が浸透するままに見えなくなっているだけで、1秒の時間もかからず「今」悟るしか選択肢は元々ないのです。


これは訓練においても同様です。「本当の自分を見つける訓練」という言葉自体矛盾に満ちています。本当のあなたを見つけるのに「訓練」がいると思いますか。いるわけないです。
訓練をしている場合、本当の自分を見つけているのではなく、「訓練と呼ばれるものをしている」というのが事実の正確な描写になります。
本当の自分を見つけたいのなら、1秒後ではなく「今」実際にしてないと訓練になっていません。


私たちは「訓練が必要というフリを今している」だけです。
そして、いつかそれに飽き飽きして「今」の瞬間に自分が悟っていることを認めて、「わたし」と呼ぶ感覚の本当の姿「透明な光」に気づきます。


全ては逆で、私たちが「忘れたフリを今している」「○○が必要というフリを今している」「分離があるフリをしている」「愛や喜びや自由が見つからないフリをしている」「人生を必死に生きているフリをしている」そういう姿であるということが事実です^^


この日記でSのことを書いています。Sとは「今気づいている意識」に接触しようという試みです。私たちは五感で世界を感知し、バラバラに分離した観念の下、世界を無意識自動的に分析してしまい、透明な光が見えなくなっています。実は見えているんですが、「見えていない!」と信じ思い込む力がものすごく強力なんです。


だから無限の愛・無限の歓喜・無限の自由という「わたし」の本質を思い出せません。


私たちは自分も兄弟姉妹も世界も全てをたまらなく愛しているのに忘れてしまい、憎しみや心理競争や戦争が可能だと本気で今信じています。


このS訓練は何のためにやるかと言うと、「透明な光」を今思い出すためです。
強力すぎるように感じる分離の信念を徐々に(でもいいから)打ち砕き、あなたが今完璧であることを徐々に(でもいいから)思い出そうという訓練なんです。



たとえば別の「流派」の方が今悩んでいるとします。その悩んでいる方もその「流派」も全てが「透明な光」であり、今完璧です。今完璧なのが見えず、忘れているから悩んでいるだけです。


悟りだとかスピリチュアルとかにまったく興味のない方が今経済的に大成功しているとします。その方は今完璧です。お金をもっているからではなくて、今どこの修行者とも変わらず透明な光だからです^^そして確実に、透明な光を忘れている自分(自我)に耐えられなくなって、神を探し始めます。それが今回の人生でなくても、同じです。心の隙間を通る風に、虚しさに耐えられなくなるからです。フィオラは真紅の渇きと呼んでいました。


本当は私たちは最初から、すべてを、わかっているんです。
すべてがフリであることを、わかっていて、今この状況を配置しました。


カリ・ユガと呼ばれた暗黒の時代は終わり、もういい加減に「思い出そう」という時代の始まりがこの時代です。ハリウッド映画のような人間ドラマのパターン作りに全精力を傾けるのではなくて、透明な光を思い出した上で、新しい時代を、個性が創世の星星のように輝く時代を創ろうとやって来ました^^本当はみんな覚えているんです。


自我は役者です。
役者になるために生まれ、今を体験する特権を抱きしめて、私たちは冒険を繰り広げています。
最高の冒険は「思い出す」ことです^^
あなたの自我に、あなたの肉体に、参加させてあげてください。


この時をどれほど待ったか。どれほどつらい時を一緒に支えてきてくれたか。



自我は敵ではありません。この光を思い出す旅の特等席で光そのものを体験する権利があります。
自我は死ななければならない?いいえ、それは嘘です。
自我は死にません。権利を認め、一緒に体験するんです^^


誰も仲間はずれにはなりません。


今日もありがとうございました。
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