こんばんは。今夜のテーマは「愛」です。
無償の愛という概念は誰でも知っていますが、このエネルギーを実際に感じた瞬間から人生は変わります。何の理由もないのに、あったかくて満ち足りているエネルギーが胸の中心奥から溢れてくる。これが本来人間がもつ力だとすると、どうしてそれを知ることがなかなかできないのでしょうか。

私が自分の経験から思うに、「今この瞬間のありのままの自分に対する態度」が、このエネルギーの感知に直結しているのだと思います。あなたがAさんのことを大っ嫌いだとして、Aさんのことを大っ嫌いな「自分」のことを「今」どう思っているのか。あなたが何か大失敗をしたとして、大失敗をやらかした「自分」のことを「今」どう思っているのか。

この「ありのままの今のわたし」と共に「ある」時、あなたの本当の愛の力が表に出てきます。条件もなく、対象も選ばない、あなたの真の感覚の一部です。始まりにすぎないかも知れませんが、それだけで人生が変わると言わざるを得ないほどの驚異の神秘です。

今、等身大のわたしに、わたしは、寄り添う。

人生で色々な景色を見て、現れは移り変わっていくのに、どこにも見つからない無償の愛。こんなに大事な感覚・エネルギーが実際は「今。内側」に隠れてしまっているというすごく意地が悪いように思えるトリックです。

これは他のエネルギーにも言えることだと思うのです。
「今。内側」に本当に大事なエネルギーが隠れてしまっている場合、今までの歴代の偉大なグル達が「恋愛相手を変えなさい。住所を変えなさい。風水的に鏡の配置を変えなさい。もう少し年収ダウンしても転職しなさい」と決して言わなかった理由にも納得がいきます。

今の状況がたとえどんなものであれ、この無償の愛のエネルギーを始め、重要なエネルギーは「今」に上手に隠れているのでしょうか。スマイル0円と壁に書いてある店舗はあります。
でもそういう店舗に行かなくても自分がスマイルになってしまうエネルギーが1秒後でも1秒前でもなく「今」わたしの「内側」にある。

先日やまがみさんのスピリチュアルTV出演時にテディさんがおもしろいことをおっしゃっていました。20世紀は「瞑想」の世紀だったとしたら、21世紀はなんだろう?

それは「今」だと思うのです。行動しててもいい。何してても関係ない。
「今」自体が隠しているものをもう一度見直そう、そういう話になると思います。

最終的に「今」に溶けきってしまうなら、どんな姿をしている人間にも偏見の目は溶けてしまうはずです。悟りは差取り。今あらゆる分離錯覚の差を取り、ひとつを感じ続けるなら、本当の愛に目覚め明るくなっていくと思います。

それはこの瞬間の意識の選択です。最初は面倒に感じるぐらい細かい作業かも知れませんが、飽きず、たゆまず、今にあるなら変わります。


地球があります。衛星から、まわる地球を眺めると最初に気づく違和感が、国境線がどこにもないという事実です。私たちは国家対国家で戦争したりブーイングしたりしますが、その理由は国境線が存在すると思っているから、です。実は存在していると頭の中で思っているだけで、概念は実在であると錯覚しているだけで、存在しない。根本的に悟りとかなんとか言うのは「ひとつ」と表現されます。境界線は実はなかったよ、というのがグルのリポートなんです。境界線がなかったことを知ったものが、そこから戦争を始める理由はもはやありません。私たちが苦しい場合も地球上の国家とまったく同じように「幻の境界線」を信じている場所でのみ苦しんでいます。分離がある、一人ぼっちだ、仲間はずれだ。その境界線とは自我です。そして時間です。では何を信じればいいんでしょうか?ひとつです。今です。信じたらダメです。ひとつを思い出す。今を思い出す。そうすると思い出す必要はないことにすぐ気づきます。今ここにあるものを思い出す必要はないでしょう。ただ体験しているしか選択肢がないことに気づきます。自我の声も反応も、ひとつです。ただ体験している。境界線はない。ひとつ。今。言葉も生まれません。自我が苦しんでいるのは頭の中で境界線と設定した場所の上でのみ苦しんでいることを思い出します。境界線ものがたりです。

今日もありがとうございました。
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