「わたし」は 水と水つなぐ 虹の弓を引く
"I" draw my bow of rainbows across the waters,
こんばんは^^skさんに教えていただいたホ・オポノポノのサイトで素敵な言葉があったので引用しました^^今夜のテーマは「マスターキー」です。

問題は個別に錠のカタチが異なり、それぞれ合う鍵があります。
ちょうどその問題に合う鍵を持つ人もいますし、持たない人もいます。
他人の中に「私こそ鍵をもっています!」と主張する人間が時々現れます^^
あなたの扉を開く鍵は私がもっているんです!だから私に頼りなさい。お布施をしなさい。
(できれば大型テレビを買う資金が私は欲しいので)このデトックスっぽい壷を75万円で購入してください。本来は98万円のところ今だけ!大幅値下げしてます!きっとあなたはこの壷を買ったら救われます。今は救われてません!

おそらく98%の人は壷を売る奴は偽者に違いない!と気づきます^^

最近のスピリチュアルブームの変化は「鍵なんて私はもってないです。たぶんあなたの中にあると思います」と言う人が増えたことです^^

もっと言うと鍵に価値はありません。
すべての問題を解く「マスターキー」こそあなただからです。
どうして「マスターキー」のあなたが他人に頼る必要があるんですか。
部分的な問題にしか合わない鍵を求める必要がありますか。
もともと必要ないんです^^

え、わたしって、マスターキーそのものだったの?と気づくまでの間、色々なメソッド(方法論)がじゃらじゃらした鍵束のように私たちの目の前に現れます^^

迷いますよね。どの鍵にしようかな~…あれも合わなかったし、これも合わなかったし…

やまがみてるおさんが「思考観察」という看板を掲げながら注意しているのは、
鍵を求める態度から、マスターキーであるあなたを今見つける態度に転換することです。
「今、鍵を求める態度(思考)を自分で気づく癖をつけましょう」

マスターキーの形状の秘密とは何でしょうか。

マスターキーの形状は「今」なんです。

あなたという自己像だけではなく、聞こえる音や、見える光、触感、猛烈な感情、何もかもそれだけではなく、マスターキーはそれらすべてを含む「今」なんです。

今の一部分だけにフォーカスし、その一部分を気に入らないとジャッジし、問題に合う特殊な鍵を探しているから「マスターキー」が問題と解答そのものを包含する「今」であることに気づかなくなります。

今あなたが「道場」にいて、「相手」と向かい合っています。
「相手」の意思は独立しており、あなたに攻撃してくるかも知れません。
あなたからは相手の意思はわかりません。これが「自分」と「他人」の分離です。

「師範」が言います。相手の「肩」を見ろ!「足」も見ろ!いややっぱり「全部」見ろ!
全員「視点」が異なり、道場にあるのは「混乱」です。どこに集中すればいい!?

ときどき「達人」が「ひとつ」とかわけのわからない標語を残して道場の壁に貼っていきますが誰も意味がわかりません。パンチドランカーになって「お花畑」でも見えたんだろうと噂されています。

「構え」と「構え」の応酬ではなく、二人で「ひとつの空間」を作っているという解釈が出ました。
そこで「師範」が言います。
「究極の境地」はそれだ!○○神拳と名づけよう!

ええ、完全な嘘っぱちです。達人は「ひとつ」と書き残したのであり
「ひとつの○○」とは決して言いませんでした。

ルビンの壷は一方に集中するともう一方の絵が認識から消えます。
それは視点であり、そこに意味を見出そうとするから絵が現れます。

では、意味を見出そうとしなかったら何が見えるんでしょうか。
この絵を認識しているのは、このゲームに関わっているのは、今これらすべてを体験しているのは
一体「誰」なんでしょうか?

現れより奥深くに本当に「ひとつ」が実在している?
でもおかしいですね。
「わたし」が「ひとつ」を発見するなら既に「ふたつ」ありますよね…?

Sもそうです。「思考」があって「S」があるなら、「ふたつ」です。
一体何が「ひとつ」なんでしょうか?

私たちにわかっているのは「思考」では「それ」を追求できないということです。
「思考」はそのまま「問題」となり、「鍵」を求める態度になるからです。

「ひとつ」という単純な指差しの先に待ち受けるものの姿に全世界が驚嘆します。

それは「今」体験されているんです。そんなはずはない!という思考が必死に否定しますが、ヴェールは溶けます。
私たちがすることは何もありません。

今あなたはそのままで「マスターキー」です。
それを本気で発見しようとするならば、「何もしない」でください。

今日もありがとうございました^^

追記1
あなたの今は完璧です。それが信じられない場合、そこに既に「そうだったらひどすぎる」「もっと良くなってもらわないと」「もっと素敵なものがこれから未来に待ち受けているはずなのに!」そういう思考が頭を支配していて、自我は「もっと良いもの」を「求めて」いて、「今」の本当の姿に目を開くことを「怖れ」ていることに気づいていただきたいんです。鍵は他人にはありません。本当の鍵は、「今」目の前にあるんです。あなたにあります。あなたが怖れているのは「あなたは誰なのか」を思考が捏造して信じているからです。
「今」に戻ってください。
「今」に戻ってください。
「今」に戻ってください。

追記2
S定着時の「頭の中の感覚」のことを書いておきます。
S定着時から、座標が「静止」しているような感覚が始まります。何も「流れない」「静止空間」の感覚です。そこに思考の起こりも、自然音の起こりも全て自由に広がるのですが、「空間そのもの」を常に感じているわけです。やまがみさんの著書の比喩「部屋」と「家具」を使うなら、「部屋の間取り」を常に感じている感覚とでも言うんでしょうか。
今の私では、最終的にやまがみさんがどう感じていらっしゃるのかはまだわからないのですが、現状のnobodyは「静止空間」が「頭の中に固定」されているような感覚を常に感じつつ、会話したり、思考したりしています。部屋が訓練中は意識的な接触だった(うまくはまる時があったり、はまらない時があったりランダム)のに対して、部屋そのものの視点に転換する
「動く家具」→「静止している部屋」になります。
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Fiora & nobody